MONACO (1)

モナコタイトルgif

Part One : Before the Race
by T.F. T-Communications International, Inc.(C)

モナコ高台

幸せな目覚まし時計

Monacoは、世界中でも特異な場所だと、そこに足を踏み入れる度に思う。人々が安心して大金を持ち歩き、鍵を付けたままフェラーリを路上駐車できるようにとばかり、町中の至る所に監視用カメラが設置され、人口約8人あたり1人の警官がいるという(この数字は人から聞いたので、間違っているかもしれない)。確かに治安の良さは格別なものがあり、別の意味で、ある種の“ディズニーランド”のような感じすら伺える。そこには「生活」というものがない。短い夢を見るためにある、不思議の国のように。

そんな町が、一層「特別」な場所になる週末がある。
Monaco Grand Prix Weekendである。

その週末を前に、町中はフェンスとアームコアに包まれ、いつもは優雅にHotel de Parisを真正面にお茶が飲めるCafe de Parisですら、動物園の檻の中にいるような気分になる。そして、港には世界中からやってきた巨大クルーザーが接岸され、その横にはロールスやベントレーが横付けされ、フェラーリやランボルギーニがゾロゾロと走り回る。
そんな週末、モナコのコース沿いに立ち並ぶビルの住人は、早朝からF1のエンジン調整の音で叩き起こされる。それは、F1に魅せられた者にとっては、羨ましい程の目覚まし時計ではなかろうか。

  

FORMULA ONE & ERIC CLAPTON

私の中に、完璧に別れた二つの世界があるかのように、“F1”と“クラプトン”が一致することは今まで一度もなかった。接点が見つけられないのである。もちろん、それは、私の中の問題で、あの夢のように澄んだ地中海と、“夜型人間”ですら早起きさせる太陽と空の下で、ブルースを聞きながら歩ける人がいてもおかしくない。けれども私はモナコに行く時、クラプトンの音を持っていくことは一度もないし、思い出すこともほとんどない。どんなにクラプトンが車好きで、フェラーリでぶっ飛ばす話をインタビューの中でしたとしても、私の中では、クラプトンとF1は決して出逢わない2本のレールのようなものだった。

予選の土曜日。
その日は朝の1回目のフリー走行の途中で部屋を出てコースに向かった。
モナコのビルにexhaust sound(排気音)が響く。それは、サーキットで耳にする音とは全く違った響きを感じさせる。exhaust "noise(騒音)"ではなく、"sound(響き)"と言うに値する、美しさ。
F1のエンジン音は、乾いていて、高音で、そして、何か物悲しい。
他のレーシング車のエンジンが、あっけらかんとしたメジャーコードを奏でるのに対して、F1はマイナーコードで走る。そう感じるのは私だけかもしれないけれど。
例えば、どんなにジミー・ペイジとジェフ・ベックがクラプトンと並ぶ「三大ギタリスト」と讃えられても、私のDNA(?)はこの二人のギターの音に反応しない。クラプトンの「音」は、痒い所に手が届くがごとく、心のツボにピタリと到達する。それと同じように「F1の音」には特別な響きがある。

朝のモナコに跳ね返るその音を聞きながら「これはブルースだ」と思った瞬間だけ、F1とクラプトンが重なったような気がした。

    

撮影

モナコ地面
ピットの地面に書かれた目印

アイルトン・セナがF1にやってくるより遥か以前。まだ、日本にF1ブームというものがなく、F1がヨーロッパを中心とした、ちょっとした「特権階級」の人達の楽しみにだった頃から私はF1を見ている。もちろん、それには多大に兄の影響があったし、私はまだ単なる子供であった。

強烈に覚えているのは、まだフェラーリチームのドライバーだったニキ・ラウダがF312T2に乗ってロウズヘアピンを回っていく場面。あの頃は、ロウズは別の名前だったような記憶が朧げにある。
そのシーンが余りにも印象的で美しく、“ミラボー”“ボーリバージュ”“ポルティエ”といった名前の響きが、これまたとても美しく聞こえた。

子供の頃、その美しさに憧れて、一時は本気で将来、F1のカメラマンになろうかと思ったこともあった。
今回、久しぶりにF1の撮影をしたのだけれど、ああ、F1のカメラマンにならなくて本当に良かった…とつくづく感じた。私はスポーツ写真家ではないので、ロングレンズを持っていない。それでも、数台のカメラをアシスタントなしで一人で担ぎ、強烈な日射しの下での撮影は体力が勝負。それで、お腹の出っ張った体格のいい「おじさん」達がF1のカメラマンには多い。つまり、300ミリ、500ミリの、まるで小型の天体望遠鏡のようなカメラを2~3台平気で担ぎ、尚且つ、人を押し退けてでも撮影するような図太さがなければやっていけない。
子供の頃は、そんな現実など想像すらせず、ただただ、憧れていた。


IN THE PIT(Ferrari)

フェラーリマーク


とにかく大きい。これにフォーミュラーマシーンを乗せてやってくる。トラックでも、やはりフェラーリ・レッドが美しい。


ルカ フェラーリピットプレートボックス

               

左)一緒に写っているのは、ルカ。私の友人。
右)これは、レース中にドライバーに見せるボードにくっつけるプレートの入った箱。手前の3番がシューマッハー用で、左側がバリチェロ用。この中には、各チームのドライバー名や、数字、指示のプレートが整頓されて納められている。私のTrulli好きを知って、『Jarno(Trulli)の名前もあるよ』と言って、探してくれた。フェラーリチームでTrulliのプレートを手にして上機嫌で撮ってもらったのが下の写真である。ところが、そこはさすがにラテン系。普段はシラーっとしているオジサンが後ろでこんなことをしているとは、知らなかった…。いつの間に、あのプレートをひっぱりだしたんだろう…。一応、フェラーリピットということで、シューマッハーのプレートも手にしているけれど、サイズはぐっと小さい。そして、この時点では予選で本当にTrulliがシューマッハーの後ろに付くとは、誰も(私以外は?)想像だにしていなかった。


フェラーリピット1

ルカにデジカメの使い方を教えたら、すっかりハマッてしまったらしく、真剣な表情で撮ってる姿がおかしかった。でも、さすがに元シューマッハーのレースエンジニア。初めて手にしたカメラを見事に使いこなしている。まるで私の専属カメラマンのように、忠実に撮ってくれる。
フェラーリチームのクルー達は優しい。昔から何をしても怒られたことがない。私が『イタリア人ならTrulliを連れて来てよ』と言うとゲラゲラ笑っていた。私がシューマッハーに全く興味を示さず、ひたすらTrulliを連呼するのが余程おかしかったらしく、ルカなど呆れて"Why, Jarno? Why Jarno?(どうしてヤーノがそんなにいいの?)"と不思議そうな顔をしていた。そして、Trulliの色んな話をしてくれた。


ボードを持って写真を撮っていると、またあのオジサンがプレートを持って登場。真面目な顔でこんなことばかりやっている。ちゃんと仕事はしているのだろうか?

 

フェラーリボード

フェラーリの頭脳部。コンピュータールーム。これを設置するのに1日半かかると言っていた。


 フェラーリコンピューター

フェラーリピットウォール

『みーんな、ここに座って写真を撮りたがるんだよ』と言いながら撮ってくれた。

まるで、観光名所。

現在のピットウォールは6席になっている。

フェラーリチームがピットとパドックの行き来に使っているバイク。フェラーリでは、何もかもが赤い。
座ってはいるけれど、実は私はバイクに乗れない。水泳とオートバイ、この二つがどうしてもマスターできない。車も自転車も乗れるのに、何故かスクーターすら乗れない。ただ、またがったりして遊ぶことはできる。

モナコでは、ヘルメット無着用で走ると、お巡りさんから大目玉を食らうんだと、クルーが言っていた。

フェラーリバイク

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